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ライター

【自己紹介】ライティング担当 あさちゃん です!!

はじめまして! あさちゃんと申します。 私ことあさちゃんは、弊社DNSにて日々ライティング業務に励む、いわゆるライターです。 今回は初めての投稿ということで、私の人となりと、担当業務である「ライティング(文書作成)」と、「WEBマーケティング」についてお話できればと思います。 お時間のある方はお付き合いいただければ幸いです。
 

ライティングについて

先ほどお伝えしたとおりライティングとは「文章作成」です。 小説家に始まり新聞記者、雑誌記者、コピーライター、フリーライターなど、文章作成を専門に行う職業(ライター)の種類は様々ですが、いずれのライターも、基礎的な言語能力に加え、それぞれのジャンルごとに様々な能力が求められます。 例えば、小説家ならば、登場人物の想いや、場面を文章のみで説明する表現能力、雑誌記者ならば、対象とした年代が求める流行を素早く感じ取る感受性等がそれにあたります。 いずれにせよ、より良いライターになるためには、己に必要とされる能力を正確に把握し、磨いてゆくことが求められるのです。 私の職業であるWEBライターも、それら数あるライターの中の1つであり、その名のとおり、WEBサイトのための記事を作成しています。 では、我々WEBライターに求められる技能とは、一体どのようなものなのでしょうか?  

WEBライターに求められること

私が記事を書く際に心がけていることは、簡潔性と系統だった構成、正確で適度に詳細な内容です。 これら3つは、全ライターに重要な技術ですが、その中でも特にWEBライターにとっては必須スキルといえます。 その理由は明快で、小説や新聞と違い、WEB記事の読者の多くは、「お腹の調子を整える食材」や「頭痛を軽減する方法」など「具体的な問題」を抱え、その「解決策」を求めているからです。 それら情報収集を目的とした記事には、「簡潔かつ正確」で「系統立てられた」情報が欠かせません。 すなわち、小説であれば「味」と呼ばれ、むしろ好まれるような複雑な言い回しや繊細な感情表現は、WEB記事では小難しくまどろっこしい情報となり、読者の情報収集や理解を妨げます。 それと同様に、新聞や雑誌のような幅広いジャンルの膨大なの情報も、特定の情報だけを求める読者には煩わしいだけです。 WEBライターには、「読者が求める情報」だけを、「簡潔」かつ「わかりやすく」表現する技術が欠かせません。 すなわち優れたWEBライターになる為には、これら文章作成における「基礎」をひたすら練り上げてゆく必要があるのです。   さて、ここまで、さも自分が経験豊富なライターであるかのようなご高説をたれてしまいましたが、実は私はライティングを初めて半年ほどの若輩者、それ以前の文章作成経験も大学生時のレポート程度の、へっぽこ駆け出しライターです。 上記の心がけも、業務をこなすうちに気付いたものや、先輩方からご教授いただいたものの受け売りに過ぎません。 しかし、これらを意識するか否によって、できあがった記事の品質は雲泥の差となります。 個人的には、これらのポイントは、大当たりといわないまでも、それほど的外れでもないだろうと考えております。
 

ライティングの実績

私の入社後の実績は以下のとおりです。
  • メルマガ記事:約20本
  • WEB記事:約50本
このようにまだまだ経験不足ではありますが、今後も研鑽を重ね、より良い記事を書けるよう精進いたします。
 

WEBマーケティングのお仕事

私の担当する、もう1つの業務である「WEBマーケティング」は、その名のとおり「インターネットに主軸を置いたマーケティング」です。 インターネットを媒介する事により、近くにお住まいの方のみならず、北は北海道、南は沖縄まで日本全国の皆さまへ情報発信が可能です。 それはつまり、これまで物理的な距離に隔たれて、顧客足り得なかった方にもアプローチが可能になる事を意味します。 現在、私はそのWEBマーケティング業務において、先ほどご説明した「ライティング」に加え、「顧客のモデル作成及び分析」、「チラシのデザイン」等、様々な業務を職場の仲間たちと力を合わせ行っております。 いずれの分野も、今はまだ、それに長けた仲間には及びませんが、彼らに「追いつけ負い越せ」の精神で努力を重ね、自分を高めてゆく所存です。   いかがでしたか? 私、あさちゃんは、このような人間です。 この業界に入ったばかりの若輩者ではあるものの、   学習意欲とやる気だけは決して誰にも負けない   と自負しております。
 

今後のビジョン

いただいたお仕事は、全て全力でやり遂げる所存です! ライティングやWEBマーケティングでお悩みの方は、ぜひ一度ご相談ください。 お仕事お待ちしております!
 

あさちゃん’sこれからのよてい

今後私の担当回では、私の担当業務である「ライティング」と「WEBマーケティング」のコツや豆知識、その他もろもろを、思いつきかつ、行き当たりばったり場当たり的に書き散らしてまいります。 お時間のある時にのぞいていただければ幸いです。 ではまた次の記事でお会い出来る事を楽しみにしております! 以上、あさちゃんでした。

不思議な女の子 「自作」

第1章 リスの魂

20xx年x月x日に生まれた女の子は、2000gに満たない未熟児だった。
自分の力で母乳を吸うことが出来なかったので、点滴での栄養注入によって育てられた。
クニコと名付けられた女の子は約半年間の入院を経て帰宅した。
クニコは離乳食をなかなか受け付けなかった。
若干成長が遅く、ハイハイをし始めたのは2歳の誕生日を迎えようとする目前だった。
あまりの成長の遅さに小児科検診を受けた。
小児科医:不思議な能力をもったダウン症ですねとの診断だった。
お父さんやお母さんは帰宅後、クニコを抱き締めながら泣いていた。
クニコ:ママ、どうして泣いているの? とお母さんの涙を拭いてあげていた。
まだ何もわからないはずのクニコだが、言葉を発したのもまるで初めてだった。
お父さんお母さんはビックリして
お父さん:クニコが話した!
お母さん:本当ね!
と喜んでいたが、クニコ自身に話したという意識はなく、両親が喜んでいる理由をわかるわけがなかった。
クニコは自分の感情はないけれど、他人の心を読むことが出来る不思議な子だった。
人見知りをしない反面、知らない人から声をかけられると喜んで付いて行ってしまいそうな子どもだったので、親からは常に監視をされているような状況にもあった。
2歳半になり、生まれてはじめて連れて行ってもらった動物園では、大きな動物には興味を示さなかったが、リスやレッサーパンダ、ハムスター等の小動物との触れ合いは楽しんでいる感じだった。
お父さん:さぁ、沢山遊んだね。
お母さん:そろそろ帰るわよ。
クニコ:リスさんを家に連れて帰りたい
だが、動物園で飼育されている動物を家に連れ帰ることは出来ない。
クニコ:おうちに連れていけないって。残念だけどまた遊びに来るね。バイバイ。
そう言いながら素直にリスを元の場所へ戻してあげた。
クニコは車の中で先ほどの動物たちとの触れ合いを思い出していた。
帰宅後、しばらくしてからクニコの部屋にさっき動物園で戻したはずのリスを発見した。
ビックリしたクニコは、
クニコ:どうしてここにいるの? 急いで動物園に返さなきゃ!
とそのリスを捕まえようとしたけれど、ジッとしているはずのリスはなかなか捕まえられなかった。
クニコ:あれ?ここにいるはずなのに捕まえられない。
それもそのはず。クニコが見たものは先ほど見たリスの魂だったのだ。
リスは魂だけがついてくることに成功したのだ。
だが、その魂はクニコ以外の人には見えないものとなっている。
第2章 一心同体

クニコは、周囲に誰もいないのを確認してリスの魂にそっと話しかけてみた。
クニコ:シマシマ模様のリスさんだから、名前はシマちゃんで良い?
リスの魂は、コクッと頷いてすぐに仲良くなった。
シマは魂なのでクニコだけにしか見えない生き物だった。
両親には見えるはずのないシマとの会話について、クニコの一人遊びとして受け止めていた。
月日は流れ、クニコは3歳の誕生日を機に幼稚園に通うことになった。
お母さん:クニコ、明日から幼稚園だね。沢山お友達を作ろうね。
クニコ:シマちゃんも一緒に連れていく
お母さん:シマちゃん?
事情を知らないお母さんはそういうしかなかった。
そんなクニコを見て、
シマ(ジェスチャー):みんなの前では出ないから通園バッグの中に入れて連れて行ってほしい
クニコ(小声):そうか!カバンの中に入れておけば良いのか。だけど、それだとシマちゃんが苦しくならない?
シマ(ジェスチャー):大丈夫
コクッとうなずく。
クニコは翌朝から素直に幼稚園に通うようになった。
クニコには幼稚園での友だちが何人か出来た。
時々通園バッグの中にいるシマの様子を見ながら友達と遊ぶ機会が増えてきた。
クニコはシマの存在を他の人に知られたらどう思うだろうという不安感があったが、クニコ以外の人には見えないので安心だった。
ところが、ある日の幼稚園の帰り道にクニコは突然意識を失って倒れてしまった。
お母さん:クニコ!クニコ!
とクニコを揺さぶりながら泣き叫んでいた。
お母さんには見えないはずのシマはリスの魂なので、自分をかわいがってくれているクニコの中に入り込んでクニコになったのだ。
シマの魂が入ったクニコは不意にムックリと起き上がって、辺りを見回した。
体の小さかったシマにとって、世界が小さく見えてしまうので今までとは勝手が違うが、人間の世界としてクニコになり切らないといけないことはすぐに察することが出来た。
体はクニコで心はシマという一心同体になったという自分はこれからの世界をどう切り開いていくのか…。
第3章 シマの友達ドット

事情の知らないお母さんは、ビックリした。
お母さん:クニコ?
と呼んだが、クニコ自身の魂が抜けてしまっているので自分の事とは気が付かない様子。
お母さんとしてはとりあえず、意識が戻ったクニコの手を引いて家に連れて帰るしかなかった。
クニコは自分の心をなくしてしまったが、シマの魂が動かしてくれるのでシマに任せる形の生活になった。
体は人間で心は動物というちょっと変わった女の子になってしまったが、その後はクニコにとってもシマにとってもお互いに自分の人生を楽しめるようになっていくということは、当人たちも知る由がなかった。
20xx年、クニコは5歳の誕生日を迎えたがシマの魂が入っているために、無口で何を考えているのか当人にもわからない状況にあった。
幼稚園で友だちと遊ぶ姿は普通の女の子のように見えているが、帰宅するとシマの魂が甦るためか部屋中を駆けずり回る行為が絶えなかった。
そんな頃、お母さんは体調を崩しかけているようで顔色が冴えないことが増えたのでクニコは不思議そうに思っていた。人間の魂だったら、お母さんを気遣う事もできるが、シマの魂で動いているクニコにはお母さんの体を気遣うことは難しかった。人間離れした行動を起こすようになったクニコを見ているお母さんはクニコをどう扱っていいものかわからなくなってしまっていた。
クニコは自分の部屋に戻り、幼稚園で拾ったドングリの実同士をぶつけ合いカツカツと音を立て始めた。
何のためにドングリをカツカツ叩くのかわからないクニコだったが、そのうちシマの友達のドットがクニコの部屋の窓の外に来たのを発見した。
シマには何か困ったことがあると、ドングリの実でカツカツと音を立てることで友だちを呼び寄せる能力が備わっていたのだ。
シマの魂としては、人間の心を忘れてしまったクニコに、人間らしさを取り戻してあげたいと思っていたのだ。
シマの友達のドットは、クニコにピンクのリボンと説明書を渡した。
説明書:このリボンを着けていればシマの魂が抜けて、本来の人間としての心に戻ることが出来る。ただし、このリボンの秘密は他人に知られないように気を付ける事が条件だよ。
説明書を見たクニコ:ありがとう
ドットの目を見ながらお礼を言うと、ドットはその場からいなくなった。
クニコは人間の心に戻りたいと思えば、ピンクのリボンを着けることで、より人間らしい生き方が出来るようになった。 試しに着けてみることにした。
鏡の前で髪にピンクのリボンを着けて、いざ変心?
すると、今までクニコにはなかった感情が芽生えてきたのだ。それと同時にシマの魂が見えるので、自分でも不思議な感覚になっているのである。
第4章 シマとの別れ

それから数日後、クニコはピンクのリボンを着けて幼稚園に行く支度を終わらせてお母さんの所へ行った。
お母さんはすぐにクニコのリボンに気が付いた。
お母さん:まぁ、かわいらしいピンクのリボンを着けて。どうしたの?
クニコ:あっ!さわらないで? このリボンものすごく大事なものなの。自分で着けたいときに着けるだけだけどね…。
お母さん:そう。良かったわね。
クニコ:うん? 幼稚園に行ってきます。じゃね!
クニコはあまり母に触れられないようにその場から立ち退いた。
クニコは幼稚園に行くときピンクのリボンを忘れずに着けるようになった。
やはり人間としての仲間意識を作りたいのである。
幼稚園での友だちも2人出来た。ユキちゃんとハルちゃんである。
ピンクのリボンの効果は普通の人間らしさが出ていて、かくれんぼや、だるまさんが転んだなどの遊びも満喫していた。クニコがピンクのリボンを着けている間、シマの魂は本当のシマの所に戻っているので他人に見られる心配はない。
幼稚園から帰ったクニコは自室に戻り、鏡の前でリボンを外す。その頃にはシマの魂はクニコの部屋に待機しているのでリボンを外したらシマの魂が戻り、人間になっている間の疲れが出て寝てしまうのである。
シマの魂が入っているクニコはよく寝る子だった。それでも幼稚園に行くときは張り切って起きていた。
やがて小学校に通うようになり、クニコはお姉さんらしくなった。
シマの魂はそろそろ元の生活に戻らないといけない。
クニコはピンクのリボンを着けてお母さんに、
クニコ:2歳の時に行った動物園にまた行きたいとお願いをした。
その週の日曜日に動物園に連れて行ってもらい、ピンクのリボンを着けたクニコはシマの魂を本当のリスのそばにそっと戻してあげた。
クニコ:今までありがとう。これからはシマらしくノビノビと暮らしてね。
終わり

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著作権は当社にございますので、無断使用転載禁止いたします。

尚、ライティング依頼はいつでも承っておりますので、下記までお気軽にご連絡ください。
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KAZU・三浦知良について

僕が1番好きなサッカー選手はKAZUです。ものすごくプレッシャーに強く、不屈な精神力を持っています。大舞台に成れば成る程、力を発揮し、ここで点が欲しいっていう時に必ずといっていい程点を取ってくれました。現在48歳今尚現役でJリーグの最年長プロサッカープレーヤーです。サッカーという走り続けるスポーツにおいて本当に信じられないです。サッカーと向き合う姿勢、考え方はものすごいものがあります。練習のランニングの時はKAZUよりも2回りも若い選手に混じっていつも先頭を走っています。普段の食事も体脂肪と筋力を維持する為にものすごい食事制限をしています。その為チームメイト、海外でプレーしている日本人選手からもものすごく尊敬されています。KAZUがいるから今の日本サッカー界があると思います。KAZUがいなければJリーグの成功はなかったと思います。シザーズと呼ばれるブラジル仕込みのまたぎフェイントで観客を魅了しました。Jリーグ初代MVPを受賞し真のスターになりました。KAZUは日本サッカーのパイオニアです。15歳高校1年で中退してブラジルに行き色々ありながらも努力による努力を重ねてブラジルでプロサッカー選手になりました。当時ブラジルでは日本人がサッカーをしているだけで笑われていました。ブラジルに行った当初はパスがなかなか回って来なかったとKAZUが言っていました。そういう環境の中でKAZUがプロ契約したのは名門サントスFC。あのサッカーの神様ペレ、ネイマールが在籍していたクラブです。そこでレギュラーを獲得し得意のドリブルで活躍して、ブラジル国内での左ウイング部門3位にまでなりました。またサッカー専門誌の表紙を飾るまでになったのです。23歳で日本を初のワールドカップに出場させる為に凱旋帰国します。1994年のアメリカワールドカップではアジア最終予選の最終戦でロスタイムにイラクに同点に追いつかれて目の前まで来ていたワールドカップ出場を逃しました。1998年フランスワールドカップの出場権は勝ち獲ったのですが、スイスでのワールドカップ直前の合宿でワールドカップの正式メンバーから外されます。夢のワールドカップがもう目の前まで来ていたのです。この時のKAZUの悔しさを考えると計り知れないものがあります。KAZUは日本に帰って来たその日に何事もなかったようにもう練習をしていました。普通の選手だったら、とても練習出来る精神状態じゃないと思います。話しは前後しますが、1994年に当時世界最高峰のイタリアのプロサッカーリーグセリエAにも移籍しました。1年間ではありますが。当時日本人がセリエAでプレーするなんて夢のまた夢だったのです。凄過ぎます。その後今に至るまでクロアチア、オーストラリア、Jリーグの数クラブを経て現在は横浜FCに在籍しています。その間に戦力外通知を受けたこともありました。KAZUは今でも日本代表復帰を狙っています。いつ代表に呼ばれてもいいように日々準備をしています。KAZUは辞めるのは簡単なこと、現役を続けることの方が数倍難しいのだと常々言っています。何が何でも現役にこだわり、どんなに困難な事があって必ず這い上がって来るKAZU。子供達に夢を与え続けるKAZU。僕はKAZUの生き様全てが大好きです。

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サザンオールスターズについて

僕が1番好きな歌手はサザンオールスターズです。高校生の時に友達からこの歌いいから聞いてみてと言われて、CDを借りました。ミス・ブランニュー・デイという曲でとてもアップテンポでノリがいい曲でした。桑田佳祐のパワフルでしゃがれた声にすぐに惹かれました。すぐにアルバムを買いに行きました。1枚は色々な曲調が入ったアルバムで、もう1枚はバラードばかり入ったアルバムでした。バラードを聞いた時は痺れました。サザンオールスターズの曲はほとんど桑田佳祐が作詞、作曲をしています。王道の曲から、元気が出る曲、バラード、面白い曲、マニアックな曲と色々な曲を作っています。ボキャブラリーも豊富で本当に凄いなーと思います。桑田佳祐はノリがいい曲の時はふざけながら歌う時が度々あります。ふざけて歌いながらも歌は物凄くうまいです。それでいてバラードはしっかりと聞かせてくれます。このギャップがたまらないです。僕はサザンのライブには何回も行っていますが、ファンの年齢層がとても幅広いです。こんなにも幅広い年齢層のファンから愛される歌手はなかなかいないと思います。ライブの途中にあるMCもとても面白いです。ファンをいつも楽しませてくれます。桑田佳祐のパワフルな歌声を聞いているといつも元気が出ます。また僕は夏が大好きです。サザンの歌には夏を連想させる歌詞がよく出て来ます。夏、海、波、波音など他にも色々とありますが。この事も僕がサザンが好きな理由です。僕は今までたくさんのつらい事や悲しい経験をして来ました。でもサザンがいたから乗り越える事が出来ました。これからもたくさんの名曲を作り続けて欲しいです。

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母性社会日本の病理 まとめ

この本は、“ユング心理学”で有名な臨床心理学者の河合隼雄氏の著作で、1976年に刊行されたものを再編集・文庫化し、1997年に第1刷を出版したものである。
本書では「母性社会」「永遠の少年」などの概念をもとに、日本人としての特徴を考え、その他の文化や社会と比較検討することによって、日本人としての生き方を探る試みについて述べたものだ。


著者はまず、人間の心にはたくさんの相対立する原理が作用しており、その中でも“父性”と“母性”の原理の対立はとりわけ重要なものと前提した上で、多くの臨床経験からこの日本は“母性”優位の社会であると主張する。「天にいますわたしの父のみこころを行う者は誰でも、わたしの兄弟、また姉妹、また母なのである」と、神を“父”だとイエスが語るように、西洋の文化は父性原理(個の倫理)で成り立っており、日本では(著者はいささか検討の余地があると言っているが)神道における重要な神がアマテラスという女神であり、また、仏教なども母性原理(場の倫理)の宗教であると、それらの文化によって日本は成り立っていると説く。

カール・グスタフ・ユングは、人間の無意識の深層に人類共通の“普遍的無意識”が存在すると仮定し、その元型が人間の意識により表象として把握されたものが、神話や伝説として記述されると考えた。ユングの弟子であるエーリッヒ・ノイマンは、人間の発達過程(自立していく過程)にも、その発達の各段階の元型となるものが神話のモチーフに表現されていると考え、それは個人の自我の発達過程の元型的なイメージを提供し、「人類の意識の発展史」なるものが神話を体系的に論ずることによって把握可能だとし、その画期的な著書『意識の起源史』を発表する。
ノイマンは多くの天地創造神話の初めにカオス(混沌)が記述されるように、意識と無意識は当初において分離されず混沌とした状態にあり、その状態を象徴的に表したものが“ウロボロス”であると述べる。ウロボロスは自分の尾を呑み込んで円状になっている蛇で表され、それが新生児の意識も無意識も分離しない原初的な未分化な状態を示す。
そのウロボロス的な全体性の中に“自我”が芽生える時、世界は“グレートマザー(地母神)”の姿で現われる。その像は全世界の神話の中で重要な位置を占めており、それはすべてを生みだし弱い自我を養い育てる面と、逆に現われはじめた自我を呑み込み、もとの混沌へ引きずり込む恐ろしい面をも持ち合わせている。 このようなグレートマザーの中で育っていった自我は、次の段階で父と母、天と地の分離、光と闇などの分離を体験し、意識は無意識から分離され、ものごとを区別することを学ぶ。しかしこのことは、無意識的な全体性の破壊として損失と感じられる面もあり、それは罪の意識へとつながるが、その源泉は超個人的なものとノイマンは述べる。 その次の発達段階においては画期的な変化が生まれ、それが全世界に存在する英雄神話により示される。英雄ペルセウスの物語に典型的に示されるようだが、根本的な骨組として、英雄の誕生、怪物退治、宝物(女性)の獲得という筋書きで構成される。これは無意識から分離された意識が自立性を獲得し、人格化されることの顕現であると考えられる。ユングは先に述べた怪物退治を、同じ精神科医であるフロイトが“エディプスコンプレックス”という個人的な父と子の対立という肉親関係に還元して解釈したのに反対し、怪物を人類に普遍的な母なるもの父なるものの元型的象徴として理解する。怪物退治としての母殺しは、自我を呑み込もうとするグレートマザーとの戦いであり、無意識の力に抗い自我が自立性を獲得するための戦いであると解釈する。また父殺しは父なるものとして表される文化的社会的規範との戦いを示し、自我が真の自立を勝ち取るには無意識からだけでなく、文化的な一般概念や規範からも自由になるべきで、そんな危機的な戦いを経験して自立が達成し得ると考えたのだ。
その怪物退治の後、英雄はしばしば怪物に捕らわれの身になっていた女性を解放し、結婚する。父殺し母殺しの過程を経て自らを世界より切り離すことで自立性を獲得した自我が、一人の女性を仲介として世界と新しい関係を結ぶのだ。ここに至り本当の意味での“関係”ということが生じる。ウロボロス的未分化な一体性とは明らかに区別しなければならない。
・・・だがもし、ここでいう“母殺し”を遂行できない人間はどうなるか。それは、いつまでも成人になれない人間、「永遠の少年(プエル・エテルヌス)」が現れる。ある一時期はめざましい活躍、上昇をみせるが、成人することなく、グレートマザーへの子宮回帰の念を抱き、あるとき突然の落下が始まり、母なる大地へ吸い込まれ死を迎える。その後グレートマザーの子宮の中で再生し、同じことを繰り返す。「永遠の少年」の元型はすべての人の心の無意識層に存在し、この元型と同一化するとき、文字通りの「永遠の少年」となる。彼らの主題は“上昇”であるけれど、水平方向に広がる時空との現実的つながりの弱さを特徴とする。そしてここで描いた行動パターンは、日本社会全体の動きに似てはいないだろうかと著者は言うのだ。 「永遠の少年」はさておき、ノイマンはこの自我確立の過程を、西洋人のなした「特異なアチーブメント」と呼ぶ。このように「西洋人に特異な」自我確立の傾向が日本人の心の中に生じるとどうなるのだろう。それは残念ながら、その人にとって周囲の状況と何らかの摩擦を起こさざるを得ないものになるであろうと著者は述べる。 日本には欧米諸国と比較し“対人恐怖症”と呼ばれる神経症が特に多いという。赤面恐怖や視線恐怖などを症状とする対人恐怖症者は、「強気と弱気の二つ相反する性格傾向」をもっているとされ、人から嫌われないよう好かれたい感情を内蔵し、それでいて他人に優越したい、優越しなければならないという矛盾葛藤が心性の根本にあるというのだ。 西洋人のように確立された個々の自我が関係を結ぶようなあり方ではなく、「全体としての場」が先に形成されてその“場の平衡状態”をいかに保つかが重要な日本人の集まりの中にあって、対人恐怖症者の人々は場の倫理に基づく対人関係をもつことができない。馬が怖い、鼠が怖いとかと同様、彼らは“人”が怖いのではなく“対人関係”に問題があるのだ。彼らの無意識内で個を確立する傾向が求められると、それは「場を破るもの」として作用し始める。西洋的な自我の確立は、日本的な場の破壊へとつながるから、その傾向が無意識内に存在することを意識し始めると、自分自身を一種の加害者とみなし「加害恐怖・加害妄想」を抱き、ますます対人恐怖の傾向を強めることになる。著者が一応「場の倫理」と呼ぶ日本の傾向に対し、「個の倫理」というべき傾向を無意識内に強く感じるため、彼らは不適応を起こしている。だがそれは、日本という文化の一般的傾向を“補償”する意味をも持ち合わせているのだ。 日本人の心の構造は、意識と無意識の境界が定かではなく、意識の構造も、むしろ無意識内に存在する自己を中心として形成され、それ自身、中心をもつかどうかも疑わしいと考える。よって日本人は、その無意識内にある中心をしばしば外界に投影し、それに対し自分をまったく卑小と感じたり、絶対服従することになったりする。自己は天皇や君主・家長に投影され、自分の命を捨てることさえ当然と思うようになり、自己の偉大さに比べ単純に自我否定を行うが、その傾向がただちに命の否定へと拡大される危険が高いのである。その中にあっては、西洋流の個人主義は利己主義のレッテルを貼られてしまう。 だからといって著者は、日本人と西洋人の自我のあり方について簡単に優劣を断定することはできないといい、父性原理を確立しつつ母性とのかかわりを失わずに、自分の生き方を見いだしていく努力を続けるより仕方がないという。重たいが、示唆に富む内容の本である。詳しく知りたい方はぜひ一読をして頂きたいと思う。

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この作品は、当事業所の利用者さんが執筆したものです。
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発達障害でつまずく人、うまくいく人 まとめ

2011年初版発行のこの本は、成人の発達障害の人たちの状況を一人でも多くの人に理解して欲しいと願い、書かれたものである。 2001年4月、東京・浅草の路上でレッサーパンダの帽子を被った青年が短大生を刺殺する事件が起きた。自閉症の特性で強いこだわりを持つため、かえって目立つ格好で犯行におよんだ事件として、当時話題になったようである。しかし、著者が出会った自閉症の子どもたちは、いつも穏やかであまり突飛なことも言わず、優しく目立たないいい子たちばかりだったそうだ。こうした事件は珍しいケースであるにも関わらず、同じ特性を持っているというだけで世間から冷たく見られることに、自閉症の子どもをもつ親たちは深く悲しむ。 発達障害への理解とちょっとした配慮があれば、本人にも周囲の人たちにも生きやすい社会になるということ、それをみんなに分かってもらうことを著者は期待している。


みなさんは「自閉症スペクトラム」という概念をご存知だろうか?自閉症というと、知的機能と言語発達に遅れが見られる脳機能障害で、社会性や他者とのコミュニケーション、想像力に困難が生じることが特徴だが、その程度がすごく軽く知的にも高い人たち(ほとんど健常)から極端に重い人たちまで、同じ特性を持ち“連続性”が認められる、それを自閉症スペクトラムとするというものだ。その中の細かい診断名として「アスペルガー症候群」「高機能自閉症」「特定不能の広汎性発達障害」「カナータイプの自閉症(自閉性障害)」など、その周辺的特性として「AD/HD注意欠陥・多動性障害」「LD学習障害(読字障害ディスレクシアなど)」などが人によっては存在する。
つまりそういう考え方からすると、誰にでも多かれ少なかれそういう特徴があって、その程度の差が社会生活に支障が出るかどうかというのが問題であり、そうした傾向があることで過剰に不安にならなくてもいいのでないかというのが、著者の思いである。ではその特徴の細かい部分を見ていこう。

発達障害者の人口は全体の約1%、日本では約130万人いるとされ、診断の基準は『三つ組の障害』があるかないか、しかもそれによって社会生活に支障が出ているかどうかを確認する。
まず一つ目。「社会性の障害」 仕事やプライベートで周囲の人と波長を合わせ行動できない、ルール・マナー・エチケットに配慮することが困難。例えば、身だしなみや服装で注意を受け、空気が読めなかったり、暗黙の了解が分からず、雑談や飲み会のどこが面白いのか分からない、その場にいると苦痛・不安を感じる。一つの仕事に集中してるときはいいが、二つ三つと重なると、段取りが分からなくなる・・など。
二つ目。「コミュニケーションの質的障害」
その場に応じた表情や態度、言葉を使って他者と関わり合うことが苦手。その中で不安や恐怖を感じることも。相手と視線を合わせられない。冗談が通じない。遠回しな言い方が理解できない。本音と建前を使い分けられないのでウソをつくことが苦手。ついてもすぐにバレる、また言葉のウラが読めず、「文字通り」に理解する・・など。
三つ目。「想像力のズレによる常同反復・こだわり」
物事や人には都合があり、予定が変更になることが納得できない。いったん好きなことを始めると、明日の予定に関係なくやめられなくなる。物事には決まったやり方があり、それを少しでもはずれると気に入らない・・など。
こうした三つ組の障害があることに加え、自分自身が非常に困っている人、意図せずも周りを振り回したり、場合によっては迷惑をかけている人が診断の対象となるのである。
また、この他にも、「感覚の偏り(過鈍もあるが多くは過敏)」というのがあり、周りの雑音や他人の会話してる声などが、ヘッドホンで聞いてるように耳に飛び込んでくるので、目の前の作業に集中できなくなったり、特定の花の匂いや香水の匂いを嗅ぐと気分が悪くなる、服用する薬が効いたり効かなかったりする、寒暖の差がつらく感じられる、感情の揺れ幅や驚愕反応がとても大きい、不眠の傾向など、こうした特徴で苦しんでいる人たちもいる。
この「三つ組の障害」と「自閉症スペクトラム」という概念を、イギリスの精神科医ローナ=ウィングが発見、社会に認めさせたことにより、知的には遅れはなくとも行動上で困っている多くの人たちが、福祉的な援助を受けられるようになった。自閉症の本質を知的な障害・言語的な障害ではなく、社会性・人間関係の障害であると提唱し、社会に定着させたことはローナ=ウィングの偉大な功績である。1981年のことであった。

自閉症スペクトラムの中の一つ、アスペルガー症候群には三つの性格タイプがあると言われる。性格の偏りで生きづらいというのは、持って生まれた発達障害の特性が先天的な「一次障害」であるのに対し、その特性が招いた後天的な災いという意味で、いわば『二次障害』である。発達障害の概念が普及してなかった頃は、「変わっている」「うるさい」「わがまま」「面白くない」と非難されたりしていた。子どもは感情表現がストレートなため、のけ者にされたり、いじめられたりする。ずっとそういうことを言われたり扱われたりしているうちに、性格の偏りが生きづらさへと変わる。以下、紹介しよう。
【積極奇異型】
人付き合いを自ら積極的に求め、納得するまで質問したり根掘り葉掘り聞いたりする。初対面の人や親密でない人に、プライベートな領域を土足で踏み込んでしまうため、人から「変わっている」「うるさい」などと評価を受けた結果、人に対して否定的で対立的な態度を取るようになる。人付き合いには興味があっても、あまり自分から求めなくなる人も出てくる。
【受動型】
発達障害の典型的なタイプ。人付き合いにはもともと積極的ではない。ただ、求められると穏やかに人と接し、いつもニコニコとおとなしい印象で、周りから浮いているというよりも、一人ポツンとしてあまり目立たない。
【孤立型】
そもそも人付き合いが苦手で、求められても応じない傾向がある。周りの人を拒絶しているように見えるが、本人は一人でマイペースに過ごしたいだけである。
ローナ・ウィングによると、アスペルガーの性格タイプはこの三つに分類できるが、養育環境やどんな人と接して来たかでも性格傾向は異なり、積極奇異型が受動型や引きこもりなどの孤立型へと変わったりすることはよくある。周りからネガティブな評価ばかり受けて来た彼らの中には、周囲の人間に不信感を募らせ、対人関係に敏感になり、自己評価が低く被害者感情が芽生えたり自責的になったりする。自分を認めることができないと他者とうまく付き合えなくなり、適切なコミュニケーションが取れなくなる。そうなると問題である。

そもそもこうした発達障害の原因は何なのか?現在のところ、遺伝的要因による先天的な脳機能の偏りにある、というのが有力な説だ。ただ、まったく家系にそういう特性を持った人がいないのに、あるストレス要因で発症することもあるという。
脳機能の偏りの一つと言われるものに、脳内の神経伝達物質セロトニンのバランスが生まれつき偏っているという仮説がある。セロトニンとは心のバランスを整える作用があり、不足すると暴力的(キレる)になったり、うつ症状や強迫症状(強いこだわり)を発症しやすくなったりする。セロトニンは、朝日を浴びたり、軽い運動(ウォーキングなど)をしたり、規則正しい生活やバランスの良い食事(特にタンパク質の適度な摂取)をしたりすれば自然と活性化されるので、発達障害の人の脳にはそれらを特に意識して実践した方がよいだろう。 この本は、発達障害のことを初めて知るにはとても分かりやすい本である。専門的な内容が知りたければ他の本をおススメするが、そうでない人はこの本から入るときっと良いだろう。発達障害とうまく付き合うために、本人や周りの人たちはどうすればいいか?要点が丁寧に書かれているので、ぜひ一読して欲しい一冊である。 そして、お互いが生きやすい社会になることを願う。

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『脳の中の人生』 まとめ

本書は、テレビでもおなじみの脳科学者である茂木 健一郎氏が、物質である脳にどのようにして『心』が宿るのか、人生の具体的な体験から脳の視点を通して、『心=自分自身の人生をいかにイキイキと生きるか』について考えたものである。

まず、よく言われる「アタマがいい=記憶力がいい」とは本当なのだろうか?確かに試験や人の名前を覚えないといけない場面では、記憶力がいい方が有利だし、便利である。CDやDVDなどのデジタル記録媒体では、何年経っても記録された当初のままに情報が静止し、残っているのが「売り」である。だが、人間の脳では、記憶がずっと「静止」したままというのは、ないらしい。長い時間をかけて、様々な体験をしながら生きて行く過程において、記憶を互いに照合し、関係づけ、整理していく(記憶の編集プロセス)。誰かに何かを言われ、当時は反発しても、後で考えてみると、自分にとっては大切なことだったと、このような経験は誰にでもあるだろう。著者は、それを記憶の『編集力』と呼ぶ。もちろん「記憶力」も大事だが、一度過ぎ去ったことを変えることはできずとも、過去の見方を変え新たな発見を得る・・そうすることで新しい可能性を見出していく。この『編集力』が大事なことはお分かり頂けるだろう。
では、どのようにすればそのような能力を発揮できるのか。一つは「本を読む」ということ。脳も生きた臓器である以上、その健康に気を配り「手入れ」をする必要がある。それには「時期」も大切になってくるし、「栄養」が大事なのは言うまでもない。ただ、本を読んだ結果、脳がどのような影響を受けるか、これは無意識のプロセスであるため、コントロールできないという。前述した「記憶の編集プロセス」も、意識で直接コントロールすることはできず、本を読んだという記憶が長期にわたって編集され、5年後、10年後の生き方にどのような影響をもたらすか、自分の脳の中にある生命力にまかせるしかないというのである。まるで、花に水をやるかのような行為である。 本を読む読まないことは、意識でコントロールできる。そういった手入れを受け、脳の中の生命力が働きはじめ、その結果、思いもしなかった発見が生まれる、だから脳の手入れは面白いと著者は言う。

次に、「変わらなくちゃ!」が探究心を殺すというテーマを取り上げる。現代は変化の激しい時代だ。個人がその流れに対応するよう、「変わらなくちゃ!」という威勢のいいメッセージがメディアから流れ出す。そんな中にあって、のんびりやりたい人にとっては生きにくい時代だ。著者は、のんびり屋さんの脳の中にも新たなことにチャレンジしたいという探索欲求は本能として潜んでいるから心配ないという。 だが、人間は新しいことにチャレンジしようとする存在だと前置きしたうえで、それには一定の条件があることを指摘する。イギリスの心理学者ジョン・ボールビーは、第二次世界大戦後の恵まれない児童のための施設でボランティア活動をし、幼児の発達にとって父母をはじめとする保護者が与える心理的な「安全基地」の存在が必要不可欠なことを見出した。その「安心感」があって、探究心を発揮できることを。 問題を起こす子どもたちを調べると、何かの理由で小さな時に安全基地が与えられなかったケースが多かったという。ボールビーは子どもの発達のためには安全基地を与えてくれる保護者に対する「愛着」の感情が欠かせないという理論を提唱、児童心理の研究に大きな影響をもたらす。それは過保護に守られるためではなく、自由に安心して新たな可能性を探索するためにある、「探索のための安全基地」の概念は、子どもだけではなく大人にも通用する原理として注目された。
安心と探索のバランスをとることは、脳の大脳皮質の下の大脳辺縁系を中心とした感情のシステムの大切なはたらきのようだ。それは人間に限らず動物にもいえることで、「安全基地の確保」と「新しい可能性の探索」という命題を両立させることで、厳しい自然界を生き延びて来た。感情のシステムが「安全基地が失われた」と判断すると、探索する動機付けも低下する。歩き回っているうちに何度も電気ショックを受けたネズミは、ついにはその場でじっとして動かなくなってしまう・・。
時代の変化に従って、ある程度の変化は避けられない。だが、痛みの伴う改革をただ叫んでいるだけでは、私たちの脳の中にある探究心は殺されてしまうのだ。
過保護にならない程度に、探索するための安全基地が一人一人に確保されること、それが私たちの脳の仕組みにかなったやり方として、この変革の時代にこそ、なければならないものなのである。

最後に取り上げるのは、「小さな成功体験を持とう」だ。
生きている中で、どうしてもうまくいかない、自信や目標を失ってしまった、やる気が出ないことは誰にでもある。そんなとき、不安や怒り、イライラするなど「負の感情」が沸き起こることは、ある程度避けられない。誰でもネガティブになりどうしようもないときもある。 だが、マイナスな気分も脳の生理として意味のあることだから、進化の過程で残ってきたと著者は言う。負の感情に浸っている自分をただいたずらに否定したり、抑圧したりすることなく、自然体でいるのがいいという。そうすれば嵐はいつか過ぎ去っていく。 負の感情から抜ける方法はいくつかあり、「小さな成功体験を持つ」こともその一つだ。
1965年にノーベル物理学賞を受賞したアメリカの物理学者ファインマン博士は、誰もが認める天才だった。その天才が、若い時にアイディアがなかなか出て来ず、落ち込んだこともあったという。
そんな博士が立ち直るきっかけは、ごく簡単な問題を解いた時だった。大学のキャンパスを沈んだ気分で歩いていると、学生がフリスピーを投げるのをたまたま見た。その運動の様子を観察し、ある法則に気づく。博士はそれとなく計算をはじめ、法則を証明した。満足して同僚に見せると、「言いたいことは分かるが、これが何の役に立つ?」と呆れられる。確かに何かの役に立つものではなかったが、これをきっかけに博士はスランプから立ち直ったという。
これは、どんな小さなことでもよいので、自分が楽しめて達成感を持つことに没入することの大切さを教えてくれる。ささやかな成功が脳を変えてくれるのである。
脳の中において、成功体験=報酬が得られると、そういう結果となった原因の行動までさかのぼって、回路を強化する学習が起こる。情動系で働く神経伝達物質が、学習を促進するのだ。
達成感を得るのに、社会的に評価されるものでなくともよいと著者はいう。自分が満足し、身近な人にほめてもらったり、喜んでもらったり、そんなことで十分なようだ。「やってよかった」という達成感で、確実に脳は変わっていく。そんな体験は、あなたにもきっとあるだろう。だが、このように脳科学の視点から説明されると、より理解が深まるのではないだろうか。

以上、数あるテーマの中から三つだけを取り上げてみた。 脳は1000億の神経細胞が複雑なネットワークを張り、電気信号や化学物質が行き交う、遺伝子が巧妙な制御の網を張り巡らす複雑なシステムで、まだまだ解明されないことがたくさんあるらしい。科学の素晴らしい可能性は、対象からある程度の距離を置いて冷静に分析できる点にあるという。この、『脳科学』の視点が、あなたの人生の問題において少しでも役に立つことを、著者とともに私も祈る。

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日本人と日本文化 まとめ

1984年に初版発行の少し古い本になるが、この本は日本文学研究家であるアメリカ生まれのドナルド・キーン氏と、『竜馬がゆく』『坂の上の雲』などで有名な小説家、司馬遼太郎の対談本である。
日本人と日本文化について、この国に住むわたしたちはどれだけ知っているだろうか。日本に住んでいても意外と知らないことがあると思う。本書では日本文化の誕生期から第二次世界大戦の敗戦までの間を、様々なテーマで語っている。


「唐めきたり」という形容詞が紫式部の源氏物語の中にはあるらしい。日本らしくないという悪い意味で使われている言葉のようだが、中華文化に対する崇拝とそれに対する抵抗、その二つが含まれているからこそ『源氏物語』という小説は立派な文学になったのではないかという。当時の日本にとって中国の存在は大きかった。隣国にこのような大国があるとどうしても様々な影響を受ける。645年の大化の改新は隋や唐など強大な勢力が中国大陸を統一した時期と重なるため、そのショックから日本も統一国家を造らねばならないとして起こったものであるようだ。
平安期の宮廷では男性貴族は中国語で詩を書いたりしていたようだが、女性貴族は原則として中国語は勉強しなかった。しかしその時の女性貴族の地位は高かったので、男性が女性に何か意志を書き伝えたいと思った時、日本語でということになる。漢文で書いては分からないから、それで“和歌”というものがはやったのだろうと。
日本文学の最初の傑作の一つとキーン氏がいう紀貫之(868?~945?)の『土佐日記』では、「男もすなる日記といふものを、女もして見むとて云々」と書き、女として日記を書くとはどういうものか試してみようとした。自分を女だと言わなければならなかったのは、男性として、土佐守(とさのかみ)としてめめしいことを書くのはふさわしくないと思いフィクションを選んだ。彼は漢文で全部書くことができただろうけど、漢語では表現しにくく、自分の本当に言いたい気持ちが言えない。愛しかった小さい娘が土佐で亡くなり、京都に帰って本来ならば嬉しいはずなのに、娘がいないから淋しい。心にまとわりつく悲しい気持ちを綿々と表現するのは漢文では適当ではなかったため、日本語にしたらしい。
大胆な言い方だが、上代日本人は「ますらおぶり」というものを中国言語を通して学び、だから元型的に日本人は「たおやめぶり」の民族なのではないかという。「ますらおぶり」とはおおらかで力強い男性的な気風を指し、「たおやめぶり」とは繊細で優美な女性的な気風を指す。

日本的な美、日本独特のものとしては他にも、陶器を例にとるなら、キーン氏は志野焼や織部焼になるだろうと言っている。一概には言えないのだがあえていうと、華やかな感じの伊万里焼や柿右衛門焼のようなものではなく、ひじょうに粗末に見えるものに美意識を見出すのが日本的であると。千利休(1522~91)はつまらない百姓茶碗を取り上げて千金の価だといい、道ばたに転がっているような茶碗を拾い美を発見したらしい。古田織部(1543~1615)はただ発見してくるだけでなく、ちゃんとした茶碗をいったん割り、金と漆をこね合わして割れ目を接ぐ。すると接ぎ目が木の枝のようになり、色合いや増えた重みなども含め、とてもいいんだと言って喜んだらしい。そのような美意識は他のどこにもないようだ。

次に、日本人の戦争観について。源平時代から戦国時代に至るまで数々の合戦があったが、勝敗の決め手となったものに「裏切り」が多くあげられるらしい。壇ノ浦を例にとれば、大分県あたりの武士集団、緒方党などがはじめは平家方につき、壇ノ浦では源氏方に寝返り、船の数が逆転する。それは日本が同族社会でだいたい親類か縁者になっており、時世時節で敵味方に分かれているが、明快な理由で分かれている訳ではなく、同じ基盤で戦っているからだという。日本人の言語習慣では言葉というものがお作法みたいなものになっていて、実は肚(はら)の中ではこうですというのがある。だから日本人はいつまで経っても演説ができず、自民党政府のように前の晩に打ち合わせ済みということになる。お膳立ての段階で全ては決定してるというのだ。
捕虜の考え方について、明治時代の日露戦争の指揮官、乃木希典は捕虜になった人に対し敵味方ともにわりと寛大であったらしい。なるべく捕虜にはなるなと言いながらも、たまたま敵側につれていかれればやむを得ない、途中で逃げ帰ってくる者があると「よく帰ってきた」とほめているそうだ。日露戦争までは国際的な慣例や国際法的なあり方にわりと従っているらしく、捕虜になることもルールの一つなので、捕まってもそれほど卑屈になることはなかったようである。
だが時代は下り、太平洋戦争になるとまるで違う。司馬遼太郎はその当時、戦車隊に所属しており、『戦車操典』『砲兵操典』というものに、「愛車とともに運命をともにせよ」「砲とともに運命をともにせよ。砲のそばから離れるな」とあったらしく、弾丸が当たり油が燃えると棺桶になることを想定してのことで、氏は憂鬱だったという。嘘か本当か知らないと前置きした上で、アメリカ軍の戦車隊隊長をしていた人の話によると、「この戦車は装甲何ミリの厚さがあって、何ミリの砲弾に耐えることができる、だからきみの生命は大丈夫だ」と書いていたらしい。日本側の戦車は昭和13年からモデルチェンジせずに、ブリキのような代物に乗らされていた人にとってはたまったものではない。
昭和初年ぐらいから「日本精神」というキーワードが現れ、軍隊教育が社会に普及していく。日本的な暗いナショナリズムができ上がり、戦争が終わるまでのたった20年の期間、それをヤマトの伝統だなどとした政治の恐ろしさを感じる話だ。

そこで日本人のモラルとは何だろうか。日本には古来から神道というものがあるが、実際には他にも儒教や仏教の影響なども受けている。日本人は長い歴史の中で、外国文化から日本にふさわしいものを選択することが巧妙だった。生まれたとき、結婚式は神道だが、ふだんの生活は儒教に習い、死ぬときは仏教的な法事が行われる。儒教は厳密には宗教と呼ばないようだが、境内のなかにお宮があり、場合によっては神主がお坊さんだったということもあるようで、これを神仏混淆(シンクレティズム)という。一つの宗教を信じている人から見れば、都合のいい話だろう。これが日本のいいところでもあり悪いところでもあるようだ。原型的、原初的な神道というのは、教義があるわけでもなく、神さまがそこにいるとしたら、そこに玉砂利を敷いて清めておく。思想化した神道や体系化した神道(平田神道や国家神道)は神道の邪道のようで、本来はただ清めておくだけのものであるようだ。その清められたお皿の上に仏教なり儒教なりが乗っているような状態。昭和23年に戦犯で処刑された人たちの最後の手紙には、だいたい仏教のことが書かれていたらしい。いちばんの危機のとき、それまであまり大事にしなかった釈迦や阿弥陀仏を信ずる。死後の世界を救ってくれない天照大御神の名前は言わなかったのだ。いい意味でも悪い意味でも、日本人の便宜主義とはこういうもののようである。

本書ではこの他にも、儒教的価値観の善し悪しや、恥、風流、一休、親鸞、足利義政、日本に来た外国人のことまで、話題が盛りだくさんだ。日本人と日本文化について知りたくなったとき、本書の中でぶらりと旅をしてみてはどうだろうか?二人のよき導き手にひかれ、心地よく色々な場所を探索できることだろう。

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『追求!ブラック企業』 まとめ

この本は、グローバリゼーションが進行する中で、社会問題として表面化した、「ブラック企業」と呼ばれる労働者、特に若者を使いつぶす企業について調査追求した、今までその存在を知らなかった人たちにも分かりやすく書かれたものである。

もともと「ブラック企業」とは、暴力団のフロント企業としての意味であったが、バブル崩壊して以降の、「失われた20年」と呼ばれる景気低迷期の中で起こった、グローバリゼーションに伴う規制緩和、非正規雇用の増大の流れの中で顕在化してきた、人件費を極限まで削り込み、労働者を搾取する無法な企業のことである。

この本では、ブラック企業がさまざまな業界に及んでいることが取り上げられている。某居酒屋チェーン、某アパレル業界、某カフェ店、某書店業界、某食品業界、某ラーメン店など、多岐にわたる。ここで紹介されている企業には、東証一部上場企業も含まれており、驚かれる方もいるかもしれない。

某居酒屋チェーンを例に上げると、この会社の3事業のうちの一つ、居酒屋外食事業では、まず創業者である人物の語録をまとめた“理念集”なるものを社員のバイブル(聖書)として持たせ、暗記させる。その中には「365日24時間、死ぬまで働け」「仕事とは生きることそのものである」「朝起きてから夜眠るまで。起きている間が労働時間です」というような文言があり、従業員を洗脳する。そして、社員を過労になるまで超長時間働かせ酷使し、会社として莫大な利益を上げるのである。その中で2008年に当時26歳だった女性従業員が過労自殺する事件が起きる。

次に、3事業のうちの二つ目、介護福祉事業(介護付き有料老人ホーム)では、常に人員不足の体制が常態化しており、一人の従業員に過重な負担がかかり、介護事故が頻発していることが、取材で分かる。またそこで起きた事故を行政に報告しなければならないにもかかわらず、全ての事例を報告せず、隠ぺいしていることが明るみになる。勤務シフト表を見ると、一週間のうち夜勤が3回も入っている従業員が存在し、一週に一日も休めずその次の週にまたがり連続勤務となる従業員も多数存在するのである。この取材で炙り出された内部の実態により、労基署や役所などが動き、取材の対象となった介護事業所である当該施設のみの勤務体制は改善され、未報告分の事故報告書も行政に提出された模様である。従業員を酷使してまともなサービスが提供できないことの典型的なケースである。

3事業の三つ目は、宅配弁当事業である。この事業では運営会社が労働者を雇用するという雇用契約は結ばず、個人事業主という形で販売を委託する請負契約を結んでいる。そのため営業車の維持費は自腹、ぶつかった相手に対する弁償代など全て個人事業主である宅配員が自ら加入している保険などで払うのである。会社の看板を背負い、また創業者の選挙応援依頼文書など配達先に配らせているにもかかわらず、会社の保証は一切受けられない。求人広告は誇大給与を掲載し、実際に働いて得られる収入との間に大きなギャップも生じている。このようなことが編集者の取材によって判明したのだ。

これらブラック企業の特徴としては、まず新興企業が多い。創業者は、自分がこれぐらいの苦労をして会社を大きくしてきたのだからと、社員にもその苦労を強いさせる。また、グローバリゼーションの厳しい競争に勝ち抜き生き残る、店長候補、実力主義という大義名分で、従業員同士を激しい競争に駆り立て、超長時間労働やサービス残業を押し付ける。求人広告には「基本給」を載せず時間外手当も含めた金額を掲載し、だまして人を大量募集する。目先の利益のために、代わりはいくらでもいると脅し、長くは続かないので離職者が続出、社員の平均年齢が異様に若くなる。パワハラは日常茶飯事であり、人格を傷つける言葉が職場を飛び交う・・などである。

また、これらの現象は、学生のアルバイトにも悪影響を及ぼしている。いわゆる「ブラックバイト」と呼ばれるもので、アルバイトなのに時間帯責任者・バイトリーダーといった役職名を付けられる。新人の教育、店舗の鍵の管理、店長がいない時の業務代行など、正社員並みの責任を押し付けられ、「君がいないとうちは回らない」という状況に追い込まれ、大学の授業に参加できない、留年や退学など、学生生活に重大な支障の出るアルバイトが横行しているというのである。両親からの仕送り額もこの不況で減少し続け、生活のためにアルバイトをせざるを得ない学生が増えているのに、このような働かせ方が蔓延するのは、まるで人の足元を見たような、由々しき事態である。

なぜこのような無法がはびこるのかについて、本書は労働基準法第36条に基づく「36(さぶろく)協定」に注目する。労働基準法が定める所定労働時間を超えて労働者に労働させる場合は、使用者(経営者)と労働組合が合意した36協定書を行政に提出する。しかしそこには落とし穴があり、使用者と労働組合の合意内容次第では、時間外労働時間を青天井にできるのである。双方が合意すれば上限を撤廃できる現行の法律では、所定時間を大幅に超えた超長時間労働を阻止することはできない。また、職務によっては一週間に一日の休暇を与えることが難しい場合、四週に四日与えればよいとされている法律にも不備があると指摘する。これが連続勤務の温床になり、これらが過労によるうつや自殺につながるのである。

また労働者派遣法など、非正規雇用の増大も企業のブラック化に拍車をかけている。正社員は非正規になりたくなければと脅され、非正規社員は立場の弱さから差別待遇に甘んじて働かざるを得ず、職場では労働者として、同じ働く仲間として団結できず、労働組合として会社側と待遇改善を求め、交渉することもできない。労働組合の組織率が年々減っているのはその為である。

ではどうすればいいのか?
本書は身を守る方法を提示する。
まずは一人で悩まず、会社側と癒着した御用組合でなく、一人でも加入できる労働組合(ユニオン)に相談すること。 次に、出勤・退社時間をメモに取り、残業代未払い分の支払いを要求するときに証拠として提出する。上司のパワハラ、暴言なども、被害を受けた日、内容をメモに残しておく。可能なら録音する。それから、心が壊れる、命の危険を感じた時は、無理をせず職場から逃げることも必要である、と。

ブラック企業の闇は深い。一つの事案が解決しても、また次が世の明るみに出る。まるでもぐたたきのようであるが、政治の力で解消に向けて地道に働きかけることも、やらなければならない。その為にも、普段から社会で起こっていることに無関心にならず、関心のアンテナを常に張っておくことが必要なのである。一人の力ではどうにもできないことも、仲間と協力することで、会社と交渉し少しでも良い方向へ改善できることを、また、「ブラック企業」問題を放置しておくと、日本社会全体にその毒が浸透して行くことも、本書は教えてくれる。この問題について初めて知る人にも、入門としておすすめの一冊である。

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『挑戦する脳』 まとめ

本書は2012年に出版された、テレビでもおなじみの脳科学者、茂木 健一郎さんが、今回は脳の「挑戦する」ということをテーマに語った、全体を通して厳しくタイトな内容の力作である。
3.11東日本大震災後の日本全体を見渡して、簡単な処方箋のない困難の中にあると著者は気付く。それらを乗り越えるのに必要な「新たな挑戦の物語」を、考え実行していくための一助になればとの願いを込め、本書を執筆する。

著者は、世界は激しく動いているのにもかかわらず、日本社会の調子がいつまでも悪いままの理由に、たった一つ、「偶有性忌避症候群」をあげている。人生には初めから決まった正解などないのに、正解があるかのような思い込みをし、自分自身がその「フェアウェイ」を通ろうとするだけでなく、他人にも同じ道を通ることを求め、強制する。
そのことが、そうしたルートから外れてしまった人たちに「抑圧的」に作用しているのと同時に、何が起こるか分からない「偶有性」の状況から目を逸らし、逃走してしまうことで、日本人の脳は成長の機会を奪われている、と指摘する。著者はそれを日本の風土病とまでいい、人々の思考力を低下させていると警鐘を鳴らす。

何が起こるか容易に分からない世界の中で挑戦し続けるのに必要なのは、「根拠のない自信」だ。
たくさんの不確実性を受け入れるために、自分の中に蓄積しておくべき確実なこと。未知のことに安心して挑戦するための「安全基地」を、子どもの頃から保護者に与えられた人は強い。普段は子どもを見守り、自力で乗り越えられない壁にぶつかった時だけ手助けしてくれる保護者の存在。その保護者に対して「愛着」の感情を抱けることが、子どもが発達する上で極めて重要だ。そうやって育った大人は、「根拠のない自信」を努力によって裏付け、不確実な状況に積極的に飛び込んで挑戦を重ねていける。

だが、親が十分な安全基地を与えてくれないケースもある。言うまでもないが子どもは親を選べない。ひどい場合は虐待もある。しかし、どんな「逆境」でも、そんな親の下に生まれた「偶然」を自分の「必然」として引き受け、たった一度の人生を生きていかないといけない。子どもの脳はそれを前提にして育っていくしかないのだ。

では、その場合の子どもはどうすればいいのか。そのような環境に育った子どもが成長するにつれ、どのような性質を持つ「傾向」があるのか、まずはその理屈を理解して、自分自身を客観的に把握する「メタ認知」を行い、心の状態を安定化させる必要がある。イギリスの心理学者ジョン・ボウルビィらの研究から引用する。

気分の良い時だけ子どもの面倒を見て、それ以外の時には急に冷たくなるような、態度に一貫性のない親に育てられた子どもの場合は、成長するにつれ「分離不安」を抱く傾向がある。離れると不安で仕方なくなり、恋人に対して常に電話やメールで連絡を取ることを要求する。いつも相手との関係を確認し、維持してないと気が済まない傾向を持った人になりやすい。
そして、そもそも保護者が「安全基地」を与えず、子どもも親の愛情や庇護をあまり期待できないことを学習していくようなケースでは、その子どもは保護者に対して「愛着」を抱けず、発達の過程で様々な困難を抱える。このような子どもは、「ナルシスト」になりやすいのだという。保護者が自分を愛してくれないため、仕方ないので自分で自分を愛するようになるのである。

ここで挙げたケースは、あくまで傾向、目安である。科学的な知見は、常に「統計的有意性」の指標と一緒にデータ化され、検討される。ある傾向の親の下で育った子どもは、特定の傾向を持つ可能性が有意に高いということだ。だから、ボウルビィらの研究は、脳を育むのに「最適な」環境があると主張するものでは必ずしもなく、保護者が「安全基地」を子どもに与えた方が発育には好ましいということが言えるだろうということである。その一方で、たとえある人の親が理想的でなかったとしても悲観する必要はなく、よほど「極端な」親でない限り、その子どもにとってはかけがえのない存在なのだから、その親の下で何とか育っていくしかないという。その中で、「ナルシシズム」から進んで、自分に喜びを与えてくれるものを作り出す資質を発達させ、他者との協調より自分の感性を優先させることで「芸術家」になる人もいるかもしれない。
いずれにしても「転んでもただでは起きない」のが人間の脳であり、何が福に転ずるか分からないものなのだから、決して諦めてしまってはいけないと、読者を励ます。

次に、著者が指摘するのは、日本の「教育現場」だ。
人間の脳は本来、何が起こるか分からない生の偶有性に適応し、そこから学ぶこと、予想できることばかりではなく、思いがけぬことがあるからこそ、脳は学習できるとする。予想できることとできないことが入り混じっている状態は、「挑戦する脳」にとって「空気」のようなものだと著者は説く。
日本の教育現場は、文部科学省による行き過ぎた標準化、管理によってこの大切な「空気」がなくなり、脳を「窒息」させ、その成長する力を奪っているようだ。「ものづくり」や「事務」が日本の仕事の中心だったころは、ある程度の標準化とレベルが保証された学力の子どもたちを育てることには意味があったという。だが、インターネットやグローバルな情報流通の経済が深化している現在にあって、グーグル、ヤフー、ツイッターなどの革新的なネット上のプラットホームや、iPhoneやiPadのようなネットワークと結び付き、その機能を発揮する商品でないと、付加価値を生み出す爆発的な力は持たない。この「予想できること」と「予想できないこと」が入り混じった『インターネット』こそは、「偶有性」のダイナミクスそのものであり、「偶有性の海」に飛び込んでこそ、画期的な新しい商品や、世界に広がるサービスを創造できるという。

そんな「偶有性」の時代にあっては、ある決まった知識を身に付けるのではなく、大量の情報に接し、取捨選択をして自分の行動を決定していく能力、異なる文化的バックグランドの人たちと行き交ってコミュニケーションしていく能力が必要である。
そのような時代に、「標準化」と「管理」が支配的なモチーフの教育現場では、「挑戦する脳」は育たないと著者は力説するのだ。


最後に、人間はなぜ、挑戦し続けなければならないのか、挑戦を重ねなくてはならないのかについて、日本が危機にあるからという理由とは別にもう一つ、著者は簡潔に「新しい風景」を見たいからだという。アルベルト・アインシュタインは「感動するのを忘れた人は、生きていないのと同じである」と言ったそうだ。挑戦することで、「新しい風景」の中に身を置き、世界の新しい切り口を見いだす。そのことで、生命自体が更新される。
ビールを飲むとドーパミンが出る。しかし日常的に飲んでいる時の放出は、生涯で初めてビールを飲んで経験したことのない味に向き合った時の放出には及ばない。得体の知れないものこそが、脳の報酬系を最大限に活性化する。生涯で初めて飲むビールのような、得体が知れず、胸がわくわくする、そんなものを求め続ける「挑戦する脳」・・・。挑戦することは私たちの存在理由そのものだと、著者は言う。

この本を読むと、あなたの脳にも、きっと何か『刺激』があるに違いない。


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